「平家物語」にも出てくる小槌
「平家物語」の巻6・祇園女御の事にすでに、打出の小槌が紹介されている。
平清盛の母・祇園女御は、白河法皇の寵愛を受けていたころ、祇園のあたり住んでいた。
5月のある雨の夜、法皇が女御のもとに向かう途中、お堂のそばから怪しく光るものが現れた。手に「聞こゆる打出の小槌」らしいものを持ち、頭髪は「針の山」のように鈍く光っている。「鬼」と恐れられた。
法皇は平忠盛に成敗を命じるが、結局、それは灯籠に火を入れるために働いていた油つぎの法師だった。手に持った燃えさしを入れた容器が「小槌」、頭にかぶっていた雨よけの麦藁が「針山のような髪」に間違えられたのだ。
この話にある「聞こゆる打出の小槌」(うわさに聞く打出の小槌)という言葉によって推察できることは、「打出の小槌はこの話以前の古くから、鬼の持物として有名だった」ということだ。
この話が、それ以後の物語などに見られる鬼のアイテムとして「打出の小槌」が出てくるようになったのかもしれない。
三井元祖高利さんの「打出の小槌」
三井元祖の三井高利さんは、松阪で米まんじゅう屋を開業して大繁盛するのだが、まんじゅう屋の店舗は、荒れ果てたような家を借りて大工などには一切頼まず、自分の手で造作、修繕などをすべてやった店構えだった。
その際、古道具店から金づちをひとつ、買ってきた。その金づちを上手に使って、荒れ果てた家屋を一人前の店舗に改造したのだった。
店が繁盛し始めると、高利さんはその金づちを「打出の小槌」と名付けて大切にしていた。実際は、高利さんの店にまんじゅうを買いに来るお客が「打出の小槌」と命名したのだが。。
高利さんの商売運が非常に良いことがだんだんと世間に知れるようになり「金づちだけでできた大繁盛の店。金づちは打ち出の小槌」と噂されるようになったからたまらない。
縁起を担いで、あちこちから「打出の小槌を貸してくれ」と懇願され始めたのだ。「うちの店が不景気で困っておりますので、その福の神、打出の小槌を拝借して店を立て直したいと思います」などとしきりに懇願された。
高利さんは当初、「そんなものはありません」と固辞していた。懇願はいろいろなところからさらに過熱してくる。お礼の品をもってくる人たちも出始めた。
それでも貸すのを拒んでいた高利さんであったが、あるとき「これも一つの利殖の方法だな」と思い直して、今までに持ってきたお礼の品などを勘定してみると、結構な金額になる。「これこそ、本物の打出の小槌だな」とつぶやきながら、貸すようになったとのことです。
(来多武六著『三井元祖高利修業記』から)
康頼卿の宝物集巻一に見える「打出の小槌」
平康頼(たいらのやすより)の『宝物集』は、鬼界が島から帰洛後、京都東山に隠棲した著者・康頼が、宝物論を書き留めたもの。『平家物語』『曽我物語』などの後の文学作品にも多くの影響を与えたといわれる。
その巻一に「打ち出の小槌」が紹介されている。
されば、人の宝には打出の小槌というものこそよき宝にて侍りけれ。広野に出てよからん家や、面白からん妻の男や、遣いよからん従者、馬牛、食物、衣服なんど心に任せて打ち出してあらんこそ、よく侍りけりといふに、また人そばより指出ていふようは、打出の小槌は目出度き宝にてありけれど、口惜しいことにはものを打ち出して楽しくているほどに、鐘の声を聞けば打ち出したるものみな、失せていくことだ……
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