例えば「億り人」などという。投資・投機で大きく儲けた。めったにないことだが、ありえないことではない。
もちろん、億り人となって『何をなすか、どう生きるか』が本当は問われるはずだが、まずは「自分も億り人になろう」と考える。「まずは億り人になってから、考えるさ」と。
株式市場などは基本、ゼロサムで奪い合う構造だから、億り人が成り立つ陰では、誰かが少しずつでも損失を被っている。
でも「億り人」の出現は案外珍しいことだから、情報としても面白い。メディアが宣伝する。そして次には「さあ、あなたも億り人にチャレンジしませんか」となる。政治家でさえ「安心できる長期計画」を宣伝し、税負担を軽くしますよ、と誘って「行こうぜ」という環境をつくる。
それらは、市場関係者にとって好ましい宣伝となりうる。新たな資金が市場に流入するきっかけになる。さて、億り人選手権の開始だ。
その結果、本当に「億り人」になる人もいるだろう。でもそれは「運」がいいからだ。そして、幸運はそれほど長くは続かない。集まったと思うが早いか、富は散逸する。
さらに、選手権に出場したはいいが、虎の子を持っていかれたと嘆く人がワンサと出る。
富と財は、さらに偏在してどこかに見事に集積される。