「自分は貧乏だ」と言って、それを苦にし、自分の財産を増やすことだけに専念している。これでは、目標の達成も裕福な暮らしもできない。
尊徳先生は、18歳の頃に懸命に働き、そして倹約をして少しばかりの財産をつくった。それを周囲の人たちに貸し、賃貸料を得てさらに利殖する方法を見つけた。
だが、貸しても返ってこない場合がある。尊徳先生はその現実に直面し「自分の見込み違いが原因だ。自分が愚かなのだ」と悟った。それで、この楽をして利を得るような利殖方法を考え直し、まずは自分の「家の復活」に尽力した。
お金が入用な人には、自分の資金を貸した。そして「家の復活」に向け懸命に諸事に励んだ。その結果、より多くの貸金が無事に返ってきて、生活が楽になってきた。
尊徳先生は、基本を大事にして自己修養に励みながら、自分のことだけに専念せずに日々を尽力していけば、必ず結果は出てくると実感した。
多くの人は、生活が苦しいときは懸命に働き、節約もし、貯蓄もする。だが、少し楽になってくるとたちまちその心は消え、怠惰な生活を考える。さらに、財を相続した子孫は怠惰な生活が板につき、それまで蓄えた財産はすっかり散逸する。
つまり「目標をしっかり認識して、そこに向かって尽力すること」が貧乏を寄せ付けない方法ということだ。
自治体や国家なども同じだ。共有財産を蓄積し、足りない人には貸し、きちんと返済する風土も形成する。そして、人々の幸福と発展を目標にして懸命に取り組む。それがそこに暮らす人たちに利益をもたらし、自分自身にも恩恵が与えられる。逆に、自分一人の力で貧乏から抜け出すことはできないのだ。
(駿河東報徳館「二宮翁を語る」から)