江戸時代前期の譜代大名で、京都所司代で任務にあたった名判官・板倉重宗は、毎日決断所(訴訟をつかさどる所)へ出ると、そこに設置していた茶臼の前に座って茶を挽きながら、直接訴訟当事者の顔を見ないで訴訟を聞いた。その理由をある人が問うと
「訴えの決断は公平無私でなければならない。公正に定め得ないとすれば、それは自分の心が迷い動いているからだ。その日の心が動いているか、静かであるかは、茶臼を挽いてみればよくわかる。茶が非常に細かく落ちるときは、心が動いていないときなのだ。また、直接訴訟当事者の顔を見ないのは、訴える者の顔色を見ないため。顔色を見ると、ついこちらの心が迷うのだ。虚偽の涙を流す人もいるし、自分のことを怖がっていうことも言えないときもある。自分は、あくまでも良心に恥じない裁判をしたいのだ」と語ったという。