諦めずに自分を信じよう~木村栄博士のエピソードから

 世界的な地球物理学者であった木村栄博士は、青森県水沢の緯度観測所(現在は、国立天文台水沢VLBI観測所)の所長として40年以上、地球の緯度変動の観測を続けた。

 木村博士は、徹底して研究に集中する方だった。当時、勃発した日露戦争を知らなかったというほどだ。

 この徹底ぶりは趣味にも出た。謡曲のけいこは口の開け方、声の出し方、間のおき方などをすべて科学的に考えて行った。テニス、卓球でもラケットを出す角度、打ち方などをすべて科学的に考察した。

 水沢の緯度観測所が初めて国際的な観測に参加したのは、明治32年(1899年)。当時木村所長は30歳。責任者となった。

 観測を続けてそのデータをポツダムの中央局に継続的に送り、1年が過ぎた。ところが、日本の水沢観測所の成績がもっとも悪かったのだ。関係者は首を傾げた。木村所長も、自分の観測に誤りがあったとは思えず、世界の観察結果とどうして大きく誤差があるのか分からなかった。

 木村所長は、責任を感じて職を辞そうとさえ考えた。しかし、まず失敗の原因を突き止めるのが先だと考え、理由を探った。

 地球の緯度は、地球がやわらかで変形しているためにわずかに(地球は南北を結ぶ地軸を中心として、時速約1609キロで回転している)変化している。木村所長が観測していた当時、X、Yの2項を未知数とする公式が世界の学会で鉄則のように守られていた。なんと木村所長は「この公式に不足があるのではないか」と思いついた。

 それは、気晴らしにテニスをして研究室に戻り、机の引き出しを開けたとたんに頭に閃光が走ったのだ。

 そして計算を始める。仮にX項、Y項対してZ項を加えて計算してみると、水沢観測所こそ最高の観測精度である。水沢所長は原因を突き止めた。

 このZ項の発見は、まだ日本という国がよく知られていなかった時代のことだっただけに、世界の学会を驚かせ、木村栄博士の名を不滅のものとした。

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